06.10.18
何を今更、と言われても仕方ありません。なぜなら、海の家は9月の頭に既に解体済みなのですから。でもどうか許して下さい。仕事に振り回されてまったく更新する余裕が無かったので、気が付けばもう秋です。さて、茅ヶ崎海水浴場の海の家の解体現場に行きました。海の家は、出来上がった状態ではある種、商業建築の様相をさらに強め、まるでお祭り騒ぎで(実際、お祭り騒ぎなのだからいいのだが)、そこに海ならではの風景と言うか、空気と言うか、そんな「美しい」空間性を伴った海の家は存在しません。あぁ、嘆かわしい!儲かればそれでいいのか。いや、きっとそうなのでしょう・・・。
愚痴はその位にして、ともかく解体現場に行きました。足が止まりました。なんと美しいではありませんか!!海から吹く風を空間化した(実際はそんな事はありませんが、あくまで比喩です)かの如く、その機能を一切伴わないフレームのオーダーは、凛々しく、そこにただ、在りました。機能の伴わないものが、こんなにも美しいものなのか。機能をてんこ盛りにした挙げ句が、今の商業建築、公共建築、住宅、つまり日本全土を覆い尽くす、醜い建物群のなれの果てなのだ、といやでも気が付かされます。脱力感。我々はこれから一体どんな設計をすればよいのか・・・。
愚痴はその位にして、ともかく解体現場に行きました。足が止まりました。なんと美しいではありませんか!!海から吹く風を空間化した(実際はそんな事はありませんが、あくまで比喩です)かの如く、その機能を一切伴わないフレームのオーダーは、凛々しく、そこにただ、在りました。機能の伴わないものが、こんなにも美しいものなのか。機能をてんこ盛りにした挙げ句が、今の商業建築、公共建築、住宅、つまり日本全土を覆い尽くす、醜い建物群のなれの果てなのだ、といやでも気が付かされます。脱力感。我々はこれから一体どんな設計をすればよいのか・・・。