Report

「河口湖プロジェクト」レポート

07.02.13

昨年よりスタートしている河口湖での住宅設計の打ち合わせのため、最近頻繁に富士山の脇を車で通ります。たまたまでしょうが、ほとんど晴天に恵まれ、真っ青な空に雄大な富士山を見上げながらの仕事通いは気持ちの良いものです。そこで、ふと「大和魂」という言葉が頭に浮かびました。ちょうど赤瀬川源平氏の書籍「大和魂」を読んでいた事もあってでしょうが、いつから日本の象徴なのでしょう。もちろんずっと昔からあったのは確かですが、それが日本人の心、とまで認識されるにはそれなりの文化的な歴史が作用している様に思えます。どちらかと言いますと、私にはその「象徴性」に違和感があり、まるで漫画的にしか思えませんが、「よっ日本一!!」って感じですね。例をあげるとしたら。なぜ違和感があるのか、それを考え出したらきりがありませんが、きっと日本人の根底にある「多信教」「あいまい」という血かと思います。つまり「集中型」ではなく「分散型」の文化。国民一生に一度はメッカを目指して旅をする、って訳にはいかず、つまり西国三十三カ所巡り、四国八十八カ所巡り、という訳です。まぁ、気が向けば途中で止めてもいいし、バスであっという間に一週、ってのもいいね。まさに曖昧です。

富士山が国民の象徴としての地位を確立したのは、もしかしたら「葛飾北斎」の絵画の頃からなのでしょうか。実はその頃から日本は確実に「都市化の道」を歩み始めていたのだろうと思います。「都市化」、つまりそれは他の価値観が共存する事を許しません。共存出来ないから階層化して序列を着ける事で決着する。それが都市であって、人の意識の、「シンボル」を持つという最高レベルの能力が表象した現象かと思います。まだまだ田舎だった日本は、きっとそこら辺にある地蔵様や祠に手を合わせていたであろう事は自明な事ですが、今や巨大な寺社仏閣にこぞって人が詰めかける時代です。富士山を象徴する日本。それから戦争に向かって一直線にひた走った文化性もなんとなく頷けます。戦争を放棄した今はどうなのでしょう。むしろ富士山なんてどうだっていい、って若者の方が多いのかしら。私にはどうでもいいことですけど。

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