09.07.03
今月頭、仕事のついでに秋田県の角館にスタッフと行くことが出来た。武家屋敷がたくさん残っているところというぐらいの知識しか持ち合わせていなかったけど、とりあえず豪華な襖とか一枚板の縁側なんかには興味がなかったので、現代建築に失われてきている何かがきちんと再確認出来ればといった感じでぐるっと廻ってきた。以前金沢で見てきた武家屋敷と比べるとずいぶん趣が異なり、一言でいえば質素。だからむしろ安心した訳だが、お陰でいろいろ見えてきた。
結局のところ建築を構成している要素は、シェルタリングとしての「屋根」と、様々な関係を調節する「結界」の二つしか無いと思っているから、その「結界」のほとんど全ての事例(要素)を今回の武家屋敷でも確認することが出来たのはよかった。その一つ一つをここに挙げ出すと切りがないからやめるとして、日本の古典建築からそういった要素を引っ張り出す作業は、つまり現代建築からその作業を行うことがとても難しいからそうする訳で、「デザイン」という名のもと、投機目的だったり、単なる新奇性をねらった建築などの様に、結局のところデザインされる事を宿命として生まれてきた建築は最終目的が転倒していてとても危険であり、要は目立てばそれでいいのか?目立つことがデザインか?ということになる。空間の質感も快適さも目的から脱落し、空っぽな箱があるだけに見えるから。
そもそも様々な結界は決してデザインを目的として生まれたものではなく、気候や構造的要因、そこに住む人の気質などから自然発生的にその地方に定着し、それが文化として、デザインとして昇華していったという経緯を持つ。だから僕たちはその源泉をきちんと見抜き、その意味を現代的に訳しながら空間へ反映させなければならない。