Report

2A ASIA ARCHITECTURE AWARDレポート

15.11.05

先月、2A ASIA ARCHITECTURE AWARDの最終審査発表と表彰式がイスタンブールで開催されました。”Casaさかのうえ”がファイナルに残ったとのこともあり、久しぶりの海外、イスタンブールへ行ってきました。審査会場はITU(イスタンブール工科大学)です。都市としての歴史がとても古い街にある大学だけあって、校舎も古い。さまざまな意味で、建築関係者でなくても建築物や建築が構成する街の風景について、皆が関心を持つ可能性のようなものを感じてしまいます。利便性や快適性はそこそこに改修を施しながらつじつまを合わせ、一方で壊すということに対してとてもナーバスにならざるを得ない環境だと思います。すべてが重く、良くも悪くも古典的な伝統的デザインを引き継いでいます。都市を形成する建築の構造は、ほとんどがRCと煉瓦積みのハイブリッドです。小規模建築になると、屋根はほとんど木造かと思われました。朽ち果てたくても、屋根だけが朽ち果て、構造体はその意味でなかなか朽ちません。ずっと残ってしまいます。上からだんだん朽ちて、そのうち外装の化粧がはげ落ち、煉瓦が向きだしになりつつも、それでも残る。そして、その”途中まで朽ちた”建築を、ショップやカフェとして、まだ使うという姿勢には驚きました。必要以上に直すとか、改修するとか、あまり考えないのだと思います。ただ、それは古びてゆく景観を大切にするからではなく、きっと直して綺麗にすることに興味がないのだと思います。走っている車はすべて泥だらけ。運転も荒い。

さて、ITUのゼミ室は大きな空間を、それぞれの研究室がシェアーしていました。それぞれがそれぞれの講義や発表やディスカッションを、自由に行っている雰囲気です。講義室もガラス張りです。陰影のある天井の高い空間には、学部生の課題があちこちに展示してあり、中庭を囲む校舎をぐるっと一回りするだけで、いろんな発見がありました。こういった建築は、決して大学のためだけにデザインされたとは思えません。たまたま今、大学だから広くガランドウな空間に、ガラスの部屋を作って細分化する、といった具合に、工夫しているのでしょう。目的と建築が必要以上に重なり合うと、将来困ったことが起こります。目的が変わった瞬間に、使い物にならない建物になってしまうからです。こういった古く古典的な建築は、その意味ではいろんな使い方を許容する懐の広さを感じてしまいます。建築自体が持つ歴史やデザインの古さだけではありません。

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