19.12.27
とても小さな家が横浜に竣工しました。といいましてもacaaの設計では決して珍しいことではなくて、小さい家が大好きなので、喜んで引き受けて、そして竣工しました。(新建築住宅特集12月号掲載)
小さいことを無条件に評価するのではありません。凝縮された空間の連結で選択肢の豊富な小ささに価値があると思うのです。もちろん、それは延べ床面積としての坪数や部屋数だけが、大量生産されるすみかの評価基準になってしまった、現代の空しい住宅事情に対する反作用といっても過言ではありません。数字に価値はありません。数字は単なる記号で、概念です。なぜそれで一生に一度(かもしれない)多額の買い物をするのでしょうか。私には理解出来ませんが、世の中はそうなっているようですので、設計を生業にしている私はそこには当然行きません。凝縮された小さな家というのは分かりづらいと思うので、興味がありましたらacaaに来て頂ければお話しますが、簡単に言えば、そこにすむ人のための、人の尺度に適合した空間ということです。繰り返すように、坪数や部屋数という数字は記号なので、その記号が発する価値や意味は、時代や文化的背景、あるいは個人的事情によって大きくことなるはずです。ですので、今まさにその数字を評価して大きな買い物をしようとしている方は、将来とても大きな失敗に気がつく可能性があるということです。
価値は常に変化し、その先どうなるかは、だれも分かりませんし、正解などないのですから。私たちを取り巻く様々な物事が、巨大な渦に飲み込まれるごとく激変してゆく現代において、変わらないことを見つける必要があるのですが、変わらないものは、私たち身体の尺度です。尺度だけではありません。寒ければ暖かな日向に居たくて、暑ければ涼しい木陰で過ごしたいです。風邪を引いて熱が出て寝込む時は暗くて籠もれる空間に居たくて、最高にハッピーな時は明るくて開放的な空間で騒ぎたいです。そのようなことは普通常識なので、ひとによる差はないと思うのですが如何でしょうか。現代の住宅の価値はそういった常識的なひとの感受性のなかで、自由に空間を選び取ることができるような構造になっていますでしょうか。勿論、そうなっていないので、私は一年中、面談にいらっしゃる多くの方々に何時間もかけてそういった話をしないといけないのです。
横浜に竣工したちいさな家は、いろんな場所があって、そこを自由に散策するようにあるいて場所を選び取ることで、住まうことができるように設計されています。家は長生きするものです。耐久性など必要ありません。でも長生きする家は住まうひとが居る家です。住まうひとが居たいと思える空間は、激変する時代の中で、その激変する時代を引き受けていない側面を持っています。変わらないことをちゃんと見極め、変わらない価値を空間に見いだして、季節が変わっても住人がかわっても、そこに人が居れば、メンテナンスが生まれて、そして家はいつまでもそこにあるでしょう。